石仏の画家
こんにちは、下川です。
普段は、神戸市は灘区で「ルリカケス」というlocalやorganicにこだわった
野菜料理とジビエの食堂を営んでます。
今回の寄稿にあたって、テーマ選びが難しくて、、、
アドバイスも受けて、farmers marketであったりとか
農や食、暮らしについて僕の想うこと、感じることを書こうかなー
と思ってました。
が、数日前、友人からLINEが届きました。
そこには、
「8月12日に清志さんが亡くなりました」
と書かれていました。
清志初男さん、93歳でした。
今回は番外編的に清志初男という画家さんとの出会いをお話しさせてください。
4、5年前、ハンセン病の啓蒙活動を行う友人に連れられ、
岡山県にある国立療養所長島愛生園に行ったのが始まりです。
ハンセン病のことは、ニュースでたまに見聞きする程度。
愛生園に行く前にどういった病気なのか予習しようと思い、
ネットで調べて初めて、ハンセン病の差別と偏見の長く暗い歴史を知りました。
ハンセン病自体の話をすると、すごく長くなるのでリンク貼っておくのでそちらから少しでもハンセン病のことを知ってもらえると嬉しいです。
https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/167074.pdf
ハンセン病という病気を知ってもらうために、一般の方が、入所者の方々お話しできるお茶会を設けていました。(後から気付くのですが、僕らはそのことを知らず入所者の方々と看護師さんやお医者さんの親睦を深めるためのお茶会に間違って参加していました。)
その会の中、部屋の隅のソファでたたずむ老人が気になったので
話しかけてみると、その部屋に飾ってある大きな絵を描いた方だと言う。
これが清志さんとのファーストコンタクトでした。
戦時中、激戦地に行った話から戦後ハンセン病発症して、愛生園にやってきて絵の師匠と出会い、絵を描き始めてと、もうほんと壮絶な人生歩んでて、 グイグイ話に引き込まれて清志初男という人物に僕は興味津々でした。
なんて面白いじーちゃんなんだ!!
帰り際、初めて会った僕たちに「今度はアトリエに遊びに来なさい」と誘ってくれました。
背筋はピンとして、自分で車運転して帰る清志さんカッコよかったなぁ。
それからは、愛生園に行くたびアトリエにお邪魔するようになりました。
そこにある清志さんの作品のまぁ凄いこと!!
なかでも、大きなキャンバス(100号くらい??)に描かれた石仏画は圧巻で、一目で心奪われました。
今でも、その絵の一部分を携帯の待受画面にしています。
多くの石仏画は戦時中、兵士たちの死際を目の当たりにした壮絶な体験から祈りのインスピレーションを受けて描いたらしい。
その壮絶な体験に基づいた絵たちは、とても力強く素敵です。
石仏画は年を重ねるにつれて、抽象的になりその変化もとても面白いです。
「もっと心の中を表現したいんじゃ」という清志さん。
90歳のおじいちゃんってこと忘れてしまうくらいポジティブで元気な清志さんに毎度パワーもらってました。
ある日、自分で店をやっているという話をすると絵をプレゼントしてくれるという。
マジで?!そんなんホンマやったらめっちゃ嬉しすぎるけど、、まさかね。
社交辞令かなくらいに思ってました。
また別の日、清志さんの個展(90歳で個展やるパワーもスゴい!!)があるというので、観に行くと、「ここから絵を持って行きなさい」って。
個展中に展示中の絵を外して持ってけって?!
清志さんが選んでくれた絵をコソ泥のように、サッと外し頂きました!!!
すごい嬉しくて感謝の気持ちを表現したいんだけども、ありがとう以外の言葉が浮かばなくて。
表現しきれずもどかしかったですが、お店に絵を飾ることで、より多くの人の目に留まって清志初男という人のこと、ハンセン病のこと知ってもらうことで恩返しできたらなって今は思ってます。
たまに絵に惹きつけられて、声掛けてくれる人がいると僕が描いたわけじゃないけど、めちゃめちゃ嬉しいんです!
いつでも誰でも観に来て下さい!
子供が生まれて、なかなか行く機会も減ってしまって、去年は結局1回も会えず、、、
今年は会いに行きたいねって言うてたけど、コロナの影響でそれも難しくて。
歳も歳だし、近いうち訪れる別れは覚悟していたけど、寂しいなぁ。
うちの店に食べに来るのは叶わなかったな。
一度は料理振る舞いたかったな。
93年の人生の中、ほんと最後の最後に滑り込むようにしてでしたが、少しでも清志さんと関われたこと本当にラッキーだった思います。
こんな若造と仲良くしてくれてありがとう。
また会いに行くね。
ご冥福をお祈りします。
合掌