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CULTURE

明石海峡の春

CULTURE, MUSIC, LIFE STYLE

明石大橋の神戸側の袂に佇む移情閣、通称六角堂については何度か触れた。(過去記事:舞子と二胡と六角堂) 二胡の初学時から関わりを持ち、今は講師を務めている移情閣二胡同好会のために「移情閣組曲」なるものの作曲を始めたのは、6年ほど前になる。

現在のところ、第7番までできている。
第1番 六角堂ジグ (2015)
第2番 霧の明石海峡 (2015)
第3番 イカナゴ狂騒曲 (2015)
第4番 空の架け橋 (2015)
第5番 明石だこのマーチ(2017)
第6番 桜鯛の夢(甘いワルツ) (2019)
第7番 関守の唄(千鳥のサンバ) (2019)

今回は時節柄、第3番「イカナゴ狂騒曲」を紹介させていただこうと思う。 垂水、明石を中心に、阪神、播磨地区、淡路島北部一帯に住む人々のソウルフード、いかなごの釘煮を巡る物語である。(一般化して語るが、そして概ね間違ってはいないと思うが、具体的にはうちの母親が原型であることを念のためお断りしておく。)

明石海峡に春一番が吹く頃、イカナゴ漁の解禁日が発表されると、近隣の主婦たちは臨戦体制に入る。 アルミの大鍋、大量のザラメと生姜、それに醤油が着々と準備され、出番を待つ。

イカナゴが水揚げされると、一斉に事態が動く。 午前中の新鮮なうちが勝負だ。 自転車や原付で魚屋やスーパーに買い出しに駆けつける。 どこそこの店にたくさん入った、あっちの店は何十円安かった、などという情報が主婦ネットワークを飛び交う。 kg単位で購入し、ビニール袋に入れてもらって持ち帰る。

魚の大きさも重要だ。 幼魚なので、1週間も違えば大きさが変わる。 小さすぎても物足りないし、大きすぎると情緒(?)がない。 手始めに1、2kg、ちょうど良い大きさになった時に、一気に3、4kgの勝負をかける。 そして終漁日間近に名残を惜しんでもう2kg。 季節中に炊くのは1回ではないのである。

調理はさほど複雑ではない。 醤油とザラメを大鍋に煮溶かし、千切りにした大量の生姜と新鮮なイカナゴを交互に重ねていく。 箸等でかき混ぜるとすぐ魚が崩れてしまうので、決して混ぜてはならない。 濃い茶色に煮詰まって、残りの煮汁がちょうど良い粘度になるタイミングを見計らうには熟練が必要だ。 ザルを敷いたボールや桶に広げて、飴色の艶をだすために一気にうちわで扇ぐ。 この工程はよく子ども達に任される。 この季節、昼過ぎにはあちこちの家からイカナゴを炊く馥郁たる香りが漂ってきたものだ。 出来立ての釘煮を熱々のご飯に乗っけて食べるのは、本当に幸せな瞬間だ。

数kgものくぎ煮は、家庭内で消費し切れるものではない。 冷凍庫保存も可能だが、やはり少々味は落ちる。 各家庭で炊き上げられる必要量をはるかに上回る釘煮は、贈答に回される。 実にこの時期、町のそこかしこで炊き上がったばかりの釘煮が飛び交う。 各家庭で味が違うのだ。 醤油とザラメを基本としながら、釘煮の硬さや味加減は千差万別で、さらには胡麻、唐辛子、山椒、柚子などを加えたバリエーションもあまた存在し、その食べ比べがまた楽しい。 実際、私も毎年ではないが自分で炊いてみたりすると、特に他の人が作ったより美味しいわけでもない凡庸な出来栄えながらも、小瓶にでも詰めて誰かにプレゼントしてみたくなる。 いかなごの釘煮は何故か人に食べさせたくなる不思議な食べ物でもあるのだ。

これはもはや地域外の人には信じてもらえないのだが、この季節には郵便局や宅配便にいかなご便なるサービスが登場し、局内に郵送用のタッパーが積み上げあげられる。 タッパーに詰められた釘煮はレターパックや小包に封入され、それぞれの親戚、友人知人の元を目指して、全国津々浦々まで旅立つのである。 うちの母も毎年、関東や東北に住む兄弟姉妹に送っていたものだ。 遠方の親戚から「届いたよ。今年もおいしかったよ。」と電話がきて、ひとしきり近況を報告し合う。 そこまでが、イカナゴ到来に始まる釘煮作りという騒動の一連の流れだ。 私はいかなごの釘煮の風味とともに、このほんわかとした文化を愛しているのだと思う。

このように、イカナゴはまさに春の到来を告げる風物詩だった。「だった」と過去形にせねばならないのは寂しい。 しかし、毎年有り余るほどに出回るのが当たり前と思っていたイカナゴが不漁となるのは急激だった。 2016年を境にストンと漁獲量が落ち、1kg 800円でも高いと思っていた庶民の魚は、一気にキロ3000円を越す高級魚となり、イカナゴを炊く香りはすっかり町から消えてしまった。 乱獲のせいかと思ったら、海が綺麗になりすぎたのが理由であるらしい。 そう言われれば、子供の頃は当たり前にあった海岸の赤潮を見なくなって久しい。 人々の努力で海が綺麗になった結果、海中の栄養素が減り、プランクトンが減って魚が獲れなくなるというこの皮肉な変化は、明石海峡だけでなく瀬戸内の海全体に及んでいるという。

何十年にも渡って行われてきた釘煮作りという習慣が、こんなにもあっという間に影を潜めるとは、未だ信じがたいというか信じたくない。 しかしこの瞬く間に世の有り様が変わるという感覚は、この1年のコロナ禍でさらに強烈な形で経験したことでもある。 世の中というものは意外に急激に変化するものだ、などという教訓を得たからといって、自分の正常性バイアスを警戒するほか何ができるというわけでもないが、海のバランスが良くなり、イカナゴがいずれまた復活してくれることを願って、ここに最新作の動画「イカナゴ狂騒曲」のリンクを張らせて頂く。

・・・いや、普段のライブでの喋りも長いが、文章にするとさらに長い前置きであった。 肝心の曲は2分に満たない。 まだ時代が昭和だった頃、1日の決まった時刻に明石の天文科学館の方角から聞こえてきた「遠き山に日は落ちて」を覚えている方がいたらとても嬉しい。

移情閣組曲 第3番
「イカナゴ狂騒曲」