不登校と あの夏のRCサクセション ②
▼ 前回記事『不登校と あの夏のRCサクセション ①』
不登校と あの夏のRCサクセション ②
皆さんも経験のあることと思いますが、10代の頃、私の中でロックはどのように響いたのか、記憶をたどってみたいと思います。
中学~高校時代、部活(卓球部)をやっていた私の、帰宅してからの毎日の日課は、LPレコードをヘッドホンで聴きながら、大声で歌うことでした(笑)!!
LPレコード A面 B面で、だいたい45~50分、毎日どんなに疲れていても、部活や学校の出来事でふらふらになっていても、ロックを聴かないとおさまりがつきませんでした。
とにかく、ロックを聴きたくてしょうがない衝動、1日1回大声で歌わないとおさまらない衝動がありました。
いつも、抑えきれないエネルギーの塊、コアのようなものが体の奥にあって、それはロックを聴くことでしか解消されなかったのを覚えています。
あれは一体何だったのか、、。
ハートの奥のほうにあるそのエネルギーのコアが、ロックの衝撃波で打ち抜かれ、一気に外の世界と共鳴、共振し始めたということでしょうか、、。
よく私は、
『ドーンと来て、バーン!!!となった!』と表現します。
例えば、ある種の暴力的な、、うっぷんを晴らすような行為によって発散することで解消されたかと言えば、答えは「NO」です。
友達と目一杯遊んでも、楽しくしゃべっても、学校で良い成績を取っても、何をしても、ロックを聴いて大声で歌うことでしか満たされませんでした。
抑圧された学校生活ゆえに、我慢を重ねる日々の中でそうなっていたのか、ティーンエイジ特有の有り余るエネルギーを持て余していたのか、、。
その当時、中学生の私が聴く音楽は、確かLP一枚が当時2500円で、ひと月のお小遣いがちょうどその額だったので、ビートルズのアルバムを毎月一枚、楽しみに揃えていったのを憶えています。
そして、自分のラジカセが持てるようになると、FM番組からどんどんロックの曲を録音して、貪るように聴くようになりました。
ビートルズ、ジョンレノン、ポールマッカートニー & ウィングス、KISS、クイーン
高校になってからは、
ローリング・ストーンズ、フー、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、イエス、ELP
そして、不登校児となり、パンクが私の中で鳴り響き始めます!!!
セックス・ピストルズ、クラッシュ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、ブロンディ、スペシャルズ、
パンタ、アナーキー、ルースターズ、YMO、
RCサクセション、、、and more more more!!!
高校2年 不登校の真っ只中では、ロックへの傾倒もドンドン深くなっていきます。
近くの本屋へ行っては、ロック雑誌の立ち読み、ミュージシャンの伝記の購入、楽器店でのドラム カタログ集め&展示されているドラムをジーッと眺めては、時々店員さんに奏法の質問をする、、
さらに、レコード店でのチェック(ジャケット見るのみ)は、店内をウロウロしながら1時間でも2時間でも飽きることなくできました!!
さらに、ドラムを叩きたい!!! という衝動が昂まって、ついに床に並べた座布団ドラムで爆発し始めます!!
大きさの違う座布団を並べ(もちろん左側は小さめの座布団、右へ行くに従って大きくなります)、手前にはスネアドラムということで ソバ殻まくらをセット、細かいことは抜きにしてロックを流しながらドカドカ叩くのです。
最初にコピーした曲は、ビートルズの「レイン」
ご存知の方はお分かりと思いますが、この曲はビートルズの中でも、リンゴ・スターがドラムを叩きまくる系の珍しいタイプの楽曲。
実は、ちょーー難しい曲なのですが、訳も分からずコピーとはとても呼べないコピーをやっていました。
そしてそして、高2の夏休みに、同じ気持ち、衝動を感じながらロックのことを語り合える友達と出会います、、。
この衝動、この気持ちを共有できる仲間との、
究極の形こそが
バンドだったのです!!!
そして、もちろん今でも自分の中に感じる
その根元に存在するエネルギー、核、あの衝動こそ、
私の中での音楽であり、生きている源であると思うのです。
つづく