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不登校と あの夏のRCサクセション ③

MUSIC, LIFE STYLE

▼ 前回記事『不登校と あの夏のRCサクセション ②』

不登校と あの夏のRCサクセション ②

皆さん、こんにちは。

あの夏のRCサクセションは、私が高校生のときのお話です。

高校3年生になり、不登校の、精神的に一番へヴィーな時期は脱していましたが、まだまだ不安定な状態が続いていました。
ですが、高校 最後の文化祭へ向けて、念願のバンドを結成 😄🎶
その後に続く、私のバンド人生がここに始まります!!!

当時、こんなことになるとは夢にも思っていませんでしたが、、。

日本にもこんなにカッコいいロックバンドがいる!

さてさて、 そんな中でRCサクセションとの出会いが訪れます。

先ず、友達からの薦めで「雨上がりの夜空に」を聴いたところからでした。

洋楽中心に聴いていた私ですが、洋楽邦楽関係なく、レコードが出ている=メジャーデビューしている、ということで プロのミュージシャン=チョー憧れの人たち、私にとっては雲の上の存在でした。

「雨上がりの夜空に」を聴いた時も、日本にもこんなにカッコいいロックバンドが いる! このバンドのことをもっともっと知りたい!! という気持ちでした。

その頃の私は、九州の大分に住んでいて、ラジオ、音楽雑誌、ロック好きの友達など、、数少ない情報の中で、少しでも大好きなロックに近づきたい、接点を持ちたいと必死でした。

ザ・ルースターズシーナ&ザ・ロケッツザ・モッズザ・ロッカーズYMO、、、
数々のレジェンドの中でも、日本のロックバンドの曲として私の住む大分まで聴こえてきたのは
シナロケの「You May Dream」と
RCの「雨上がりの夜空に」でした!!

初めてRCの写真を見たときは、ロンドンパンク、ニューウェーブ、福岡のパブロックのファッションを見馴れていた私は、少々戸惑いました。

ド派手なメイクに衣装、髪の毛をツンツンに立て、今ではスタンダードになった清志郎さんスタイルは、無駄をそいだ着の身着のままのパンクファッションが主流だった中において、違ったスタンスを取っていることが感じ取れました。

進路相談で「プロのドラマーになります!!!」と宣言

さて、いよいよ実際に、夏休み中のバンドでのスタジオ練習で「雨上がりの夜空に」を演奏する瞬間が訪れます!!!
残念ながら、その時のことはほぼ記憶にないのですが、自分で叩く生ドラムの音が大きすぎて(大きく感じて)、ドラムにタオルをかけて叩いたことだけ覚えています。

週に1回のバンド練習が楽しみで楽しみで、ここから自分自身が生まれ変わったと言ってもいいくらいでした!!!
さらに、バンドメンバーと家に集まってのロック話やバカ話、自宅で個人練習をしている時のご近所様よりのクレーム、、、
こんな仲間との楽しいかけがえのない時間、つながり、バンドあるあるがあって、私の精神状態も徐々に落ち着いてきました。

担任の先生や、周りの友人も不登校だった私が元気になっていく姿を見て、陰ながら応援してくれていたように思います。

高3だったので、進路相談の個別面接もあり、私は堂々と「プロのドラマーになります!!!」と宣言し、
担任の先生も「そうか!! よし、ガンバレ!!!!」と言ってくれていました!!!!(笑)
不登校児だった私の存在は、進学校であったその高校ではめずらしく、腫れ物に触るような感じで接していたのではないでしょうか。

RCサクセション『BLUE』

そして、何だかんだありつつも、無事に文化祭が終わり(その時のこともほぼ記憶にないのです・・)、その年の冬にRCサクセションのニューアルバム「BLUE」が発売、これも思い出のアルバムとなりました。

オープニングは、ドラムの新井田耕造さんの、超絶カッコいいイントロから始まる「ロックンロール・ショー」、初期のライブから演奏していた「多摩蘭坂 」など、全体としては落ち着いた感じになっているものの名曲揃い。

「ラプソディー」「PLEASE」「BLUE」は、初期RC三部作として
今でも、私のロック史の中において燦然と光り輝いているのです!!!

RCサクセションと一緒のステージに立つ奇跡の瞬間

そしてその後、ついにそのRCサクセションと一緒のステージに立つ!!!

という奇跡の瞬間が訪れます、、。

確か、四国で開催されたイベントに出演した時が、RCサクセション と THE BLUE HEARTS の初めての共演だったと思うのですが、、(公演情報 https://www.livefans.jp/groups/45784

興奮がMAXに達していた私は、いっちょ前に準備中のドラムの新井田さんのところへズンズンご挨拶に行ったり、RCのライブ中もステージ横で見学していたり、、
とにかく舞い上がって宙に浮いていたのを覚えています。

そして、移動中に清志郎さんとお話しする機会があり、

「あの『BLUE』のアルバムは、どのようにして録ったんですか!?」
「クリックは?」「1発録りですか?」

などなど、お疲れのところをまったく遠慮もせず、先輩に対する気遣いもなく、
ただただ興奮して、自分の気持ちを告白、というより、今までの想いをぶつける時間にしてしまったような気がします。

清志郎さんのほうはと言うと、ごくごく普通に、快く会話をして下さっていました。

今思い返すと、本当に赤面、冷や汗もののお話ですが、
私にとっては、かけがえのないキラキラな思い出となっています。