何ものかを哭く鬼たち — 舞打楽暦『五鬼の賦』から
阪神電車は特に、特急停車駅に留まった各駅停車は、かなり長時間待たされる。朝の西宮駅では7分待つ。御影駅でも同様。石屋川駅は御影駅の隣なので、いっそ御影から歩こうと思って、歩いた。阪神電車は駅間が短いから、平気の平左(死語)である。
この駅の南側、43号線を渡ったところに、『灘泉』の銘柄で知られ、灘唯一の木造酒蔵として名を馳せた泉勇之介商店があった。
酒造りの時期の冬場以外は、建物をイベント会場として使わせてくれた。他のダンサーに紹介したこともあったし、若いダンサーや絵描きやピアニストを集めて、大即興大会をやったこともあった。
社長に「あのー、料金は…?」と尋ねると、「あぁ、酒買うてくれたら、ええわ」と言うので、お客さんへの振る舞い、打ち上げ利用、持ち帰りなどなど、と言ってもいくらになったことやら。
そんな欲のなさも手伝ったのか、2013年に経営難に陥り(と、Wikipediaに書いてある)廃業。雰囲気のある酒蔵は競売に付されたらしく、今は戸建て住宅になっている。木のにおい、ほのかな酒のにおいが懐かしい。
あの人の好い社長は、堺で唯一の蔵元、利休蔵(旧堺泉酒造)で、手作業で酒造りに励んでおられるようだ。
さらに少し西へ歩くと、福寿がある。
『神戸酒心館』という名前でも知られている。
10月15日、このホールで
【音と動きの即興対話『舞打楽暦第15番 / 五鬼の賦』〜能謡曲「紅葉狩」異聞〜】
というダンスと音楽のコラボレーション公演が行われた。舞打楽暦は、「まんだら・ごよみ」と読ませるそうだ。
音と動きの即興対話
『舞打楽暦第15番 / 五鬼の賦』
〜能謡曲「紅葉狩」異聞〜
能楽 小鼓方の久田舜一郎の、地の底が揺らいで出てきたような掛声、吟じられる謡の唸りと揺れに驚く。
チラシには哭声という言葉が使われていた。哭とは、大声で泣くこと。耳を澄ませると、紅葉狩を謡っているようだ。ひんやりと、今は秋だったな、と改めて季節を思い出させる。
それに続く小鼓の打音は、対照的だ。音と音の合間に、ぽつぽつと湧き上がる思い……紅葉狩の鬼女も慟哭していたのだろうか。彼女は何に絶望して、男に襲いかかったのだろう……、などと思っていると、声や音がホール全体に粒子のように広がっていくのが見えるようだ。
掛声、詞、音のいずれをも久田という一人の人間が発しているにもかかわらず、それらは別々の命を持っているようだ。そしてそれらを何ものかが結び付けている。
舞台上には、逆光でほぼ見えないがどうも二人いるらしい。
フラメンコダンサーの東仲一矩と、コンテンポラリーダンサーの角正之だ。
角のダンスは、1990年代半ばから観ている。東仲のフラメンコを初めて観たのは、そのすぐ後だったように思う。当時でもベテランだった二人は、それから二十数年、老い木になって花が散らずに残っているというどころではない。もっと生々しく、すさまじく、鬼気迫る姿だ。
角の身体の拡がるスケールの大きさ、東仲のタップの激しさは、以前と変わらないばかりか、削ぎ落されて何ものかが加えられている。
五鬼とは、ダンス、音楽の5人すべてを指している。
黒田京子のプリペアドピアノ、喜多直毅のヴァイオリンは、空間を拡げ、中心に切り込み、音が流れであるよりも拡がりであることを意識させる、求心性を自在にコントロールする種類のものだった。
ピアノは打弦すること、ヴァイオリンは擦弦すること、という、音の向こう側の行為がはっきりと見え、行為と音の間に存在するのであろう何ものかを探り当てたい、と思った。
何ものか……美や神を語るのと同じで、永遠にゴールに至らない道のりなのかもしれない。
鬼哭啾啾とは、「悲惨な死に方をした者の浮かばれない亡霊の泣き声が、恨めしげに響くさま。転じてものすごい気配が漂い迫りくるさま」 だという(新明解四字熟語辞典)。
五体の鬼たちはそのように存在し、確かにそのような舞台だった。気配と言うなら、能楽は気の芸術だ。気などという探り当てようのない何ものかにあてられ、久田のみならず、ダンスも西洋楽器も、すさまじく気を発していた。
・・・
いったい、舞台の、人から、流れ出てくる「気」のようなもの、これはいったい何ものなんだろう。それを強く感じる舞台と、感じない舞台がある。その違いはいったい何なのだろう。
今さらながら、そんなことをまだ思っている。
2005年に角正之さんに行なったインタビュー記事
http://dandp.syanari.com/dic-s.html