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「音談るつぼ」#12 廣明輝一さんと。

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今回お話をうかがったのは作曲家でピアニストの廣明輝一さん。 まずはこちらの動画で、廣明さんによる11拍子の曲を聴いてもらいたい。

▼「あ」太陽系は行くぜ!

11拍子に合わせて足を踏み鳴らすなど、踊って楽しむ音楽。 廣明さんはこれを「あ」と名付けた。健康法でもあるという。 試しに曲に合わせて足踏みをしてみよう。 11拍子だから11回の足踏みで1セット。 右足から始めたら、右足で踏み終わる。 次のセットは左足から。 この、自動的に左右が入れ替わる不思議感覚。「1、2、3、4、5タタ 1、2、3、4、5タタ」。 続けると自分なりのノリ方が見つかるのもおもしろい。 一度経験してしまうと、やみつきだ。 やみつきは言い過ぎか。 でもおもしろくて、妙にはまると思いませんか?

「太(ふと)い」に「陽(よう)」で「太陽」!

「あ」が生まれた背景にはいろいろある。 まず、廣明さんが「太陽」をすごくお好き、ということ。 気功の先生に教わったのをきっかけに、廣明さんは朝の太陽に向かって手を広げ、深呼吸をしてきた。 365日、やる。 雨の日は傘をさして。 台風の日は短めにパパッと。 毎朝決まった時間に、とはいかないけれど、なんと、かれこれ30年ほど続けているそうだ。

「『太(ふと)い』に『陽(よう)』で『太陽』と書くくらいで、太陽には気持ちを明るく前向きにさせる力があると思う。(太陽に向かって深呼吸していると)歌と踊りが出てくるときがあるんです。 毎回同じで、一発モノ。『あ』の活動では、それに近いことをやろうとしています」

なるほど。「あ」シリーズの曲が底抜けに明るくて、体の根源から湧き上がるようなポジティブなエネルギーに満ちているのは、太陽から生まれた音楽だからなんだ。 めっちゃ腑に落ちる。「思えば、若いころはあまり明るい曲って、作ってないかもしれない。(太陽の深呼吸を)やり出してから、曲調が明るく、バカっぽくなってきました」と廣明さん。

センチメンタルなコードチェンジはナシで。

もう一つ、「あ」の背景には、3年ほど前から「コード進行を受け付けなくなった」という廣明さんご自身の変化もあった。 もともとJ-POPなどにありがちな「コード進行とセンチメンタルが結びついて成立しすぎ」のウェットな音楽は苦手。 その傾向が強まったのか、どうもコードを受け付けない。 そんな時期がきた。 だったらコードを提示しない曲を録っておこう。 コード楽器は一切なし。 パーカッションだけの一発モノ。 それで曲は成立した。 動画を投稿すれば、中高生から「これを聴くと元気が出ます」とコメントがつく。 反応も上々だ。 こうして「あ」シリーズが生まれた。

▼「あ」シリーズ第一弾「太陽は昇るぜ!」の動画はこちら。

「あ」は、現代のキューバのルンバと親和性があるという。 ルンバもコードチェンジのほとんどない、一発モノの音楽だ。「だから曲調にセンチメンタルが介在しない。 街のクラブなどで演奏されるルンバはキューバのポップミュージックですけど、センチメンタルな気持ちで自分たちの生活をどうこうしよう、という感じがない。 でもちゃんと言いたいことがあって、みんなで踊って、共有できる。 僕の作りたいものに近いと思う」

もちろんコードチェンジを否定するわけではない。 むしろ廣明さんは長い間、コードと向き合ってきた。「以前は自分の持ち味は、和声進行の美しさとメロディだと思っていたんです。 それはそれで良かった。 けど、そうじゃなくていい。 コードはなくてもいいんだ、ということが『あ』を通して体感できました」

現在も「あ」シリーズの曲は、「コードを入れるとしても、あほみたいなコード進行」にとどめている。 例えば、60年代くらいに流行ったごく基本的な循環パターンを、「コード進行に意味を持たせない、という意図で」使うそうだ。 そんな視点から廣明さんのYouTubeチャンネルを見てみるのもおもしろい。

「昔からすごく思ってたんですけど、日本人はダンスができないじゃないですか。 フラメンコや社交ダンスといった、何かのスタイルがないと踊れない。 日本舞踊も、形を知らないと踊れない。 これはおかしいのではないかと。『あ』を始めて、生活のなかで体を動かせる、しかもめちゃめちゃ楽しい、ということが発見できた。 自分にとってはそういう意味でも画期的だったんです」

廣明さんは自らが作ったものに対して、「発見」という言葉を使う。「いい曲ができた、というのは、自分が今まで知らなかったことを発見した、ということ。 そんな曲はなかなかできない。 今までは和声と向き合うなかで見つけてきた。 でも最近は違う。(発見するきっかけや対象が)和声以外のことに移ってきたのが、おもしろいなという気がします」

ちなみに「あっぱれ棒」について。

ご紹介したYouTube動画では、廣明さんが背丈よりも長い棒を持っているシーンがある。 棒の先には四角い箱。自作の楽器「あっぱれ棒」だ。 動画のとおり、棒の先の箱を地面に叩きつけて使う。 打楽器と言えばいいのか。

そもそもは、「天岩戸でアメノウズメが桶を打ったという日本神話」や、「逆さにした桶を鉾(ほこ)で10回打つという鎮魂の儀式」から着想した。 ただ、寿司桶は高価だし、鉾は手に入りにくい。 そこで桶の代わりにホームセンターで見つけた木製のストッカーに穴をあけ、鉾ではなく木の棒をさしこんだ。

作ってはみたものの、当初は自分でも使い方がわからず、健康器具としての可能性を探ったという。「ここを持って」と廣明さんは「あっぱれ棒」の棒をつかんだままスクワットをしてみせる。「『あっぱれスクワット』とかやってたんですけど」、定着はしなかった。 ところがライブ中に、当時できたての「あ」の11拍子に合わせて、「あっぱれ棒」でリズムを取ると大変しっくりきた。「そうか、こう使うものだったんだな」とわかったという。

「あっぱれ棒」の生演奏は、見る人の記憶に強く残るようだ。 数年前に廣明さんのパフォーマンスを一緒に見た友人が、いまだに「あっぱれ棒」の話をする。 一度見ただけなのに。 しかも二人の友人が、今も話題にする。

バッハが好き。

廣明さんはピアニストだ。 ピアノを弾くときは別人。 ピアノの音と精神性が絡み合い、音楽に深くダイブしているように見える。 ギャップ、あり過ぎです。 ご本人はさほど意識されていないようで、「そうですかね」なんて笑っている。

ピアノは独学。 仕事の合間をぬってピアノ練習室(音楽スタジオのピアノバージョン)に通うなどし、ずっと弾いてきた。 30歳のとき、アップライトピアノを購入。 同時に、何か練習しようと気軽にバッハの「インベンション」を買ってきた。 そして、バッハの魅力にはまってしまった。

「とにかくカッコいいんですよ。 今でも、うわー! カッケー!と言いながら譜読みしてるのが楽しい(笑)」。 バッハへの興味が尽きないのは、わからないせいだという。「1音と1音、2声の出会いでそこまでできるか、と思うし、僕は半音ピボットと呼んでいますが、あの半音の動きはなんなんですかね。 現代音楽なんかは、わかるじゃない。 あぁそういうことか、誰々がやってたことだなと理解できる。 でもバッハはいまだにわからない」

ヘッドホンでバッハの『マタイ受難曲』を聴くと「ぶっ飛ぶ」そうだ。「チベットの密教音楽も、ヘッドホンで聴いたらめちゃめちゃ似てた。 立体なんですよ。 西洋音楽はハーモニーで立体の球体を作ったんだけど、アジアは倍音で立体の球体を作ってたんだと思うんだよね。 そんな気がします。 あのへんの宗教音楽は立体の球体を作ってたんだと思いましたね。 よくあんなことができるなと」。 廣明さん独特の感じ方と言葉選びがおもしろい。「バッハの沼と、キューバのルンバ的なものの間で、このところ板挟みだ。 なんなんだろうね」と廣明さんは笑う。

これから。

そんな廣明さんに今後の展望をたずねた。 それまでテンポよく話していた廣明さんが、しばし考える。「この話はちょっと恥ずかしいかなぁ」と言いながらも、「身体を開く」「ゆるし」という2つをキーワードに話してくださった。 たぶん普段人に話さない、とても大事な柔らかい部分を説明してくださったのだと思う。 だから、大切に書きたいと思う。

「身体をどう開くか」は、廣明さんが音楽をやる上で大きな問題だという。 例えば11拍子の音楽に「あ」と名付けたのは、身体が開くから。「ん」だと閉じちゃう。「身体はつながっているから、部分的に考えてはいけないが、認識の仕方として」と廣明さんは前置きして、「ひらめきとは、このへんじゃないですか」と頭を指す。「心を開くというように、このへんは心」と胸を指す。 さらに腰のあたりを触って、「そして『ゆるし』っていうのは、このへんが開く気がしたんですよね」と言う。

「ゆるし」を意識したきっかけは、バッハだ。「バッハの、とくに短調の音楽は、聴けば聴くほど鬱になる暗さがある。 けれど、そこに『神のゆるし』があるのかも」と廣明さんは気づいたそうだ。「『ゆるし』という言葉には、人が人を許す、というのも含むでしょうけど、最終的には『神がゆるす』のが大きなファクター。 自分の音楽で『ゆるし』なんて考えたことがなかったけど、大きな『ゆるし』のなかの自分や他者が認識できたら、その部分が開いたら、もっと別の大きな音楽ができるのかな、という気はちょっとしている」。 廣明さんのなかでは、「ゆるし」の概念と身体の感覚がリンクし始めている。「ゆるし」的なことを意識すると、「腰のあたりが開いて、緩やかになる」のを感じるそうだ。

このお話が聞けて本当に良かった。 この先、廣明さんの腰あたりが開いて「ゆるし」的な音楽が生まれたらすごいし、全然違うものがあらぬ場所から出てきてもおもしろい。 先のことは誰にもわからない。 行き先は自由でいい。 それよりも、今、廣明さんがこんなことを掴み始めている、今、考えている。 その事実が大事だ。「今」に立ち会えた気がして、嬉しい。

こうした、なんのこっちゃわからん人には永遠にわからん話を、でも人によっては我がごとのように感じ入って聞ける話を、先は見えなくとも今感じていることを、音楽を通して知り合う方々とは、話していたいと思う。

まとめ。

書き切れなかったが、廣明さんにはほかにもたくさんお話をうかがった。 冨田勲に憧れ、ローランドのシンセサイザーを買って「多重録音」にはまっていた子ども時代のこと。 武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」に衝撃を受け、尺八をやりたいと思って大学のサークルは邦楽部を選んだのに、2回生の綺麗な女の人にお筝を勧められて「じゃぁお筝やります」と言ってしまったこと。 ゲーム音楽を制作してバリバリ働いていたころの、バリバリっぷり。 尺八があきらめきれず、40代で習い始めたこと。 50代に入ってからの、身体的な音楽へのアプローチについて、など。

廣明さんは、私なんぞの理解の範疇をうんと超えた人だ。 お話をうかがった後も、その印象は変わらない。 廣明さんは謎めいた人だなぁ。 つい心の声がもれた。「いや、めちゃめちゃ普通のおっさんなんですけどね」と廣明さんは言う。 いやいや、こんなに話のおもしろい人はあんまり普通じゃないと思う。 アーティスト然としててかっこいいです。

廣明輝一YouTubeチャンネルでは、「あ」シリーズはもちろん、廣明さんの尺八や弾き語り、ピアノソロライブの映像なども見ることができる。 廣明さんの奥深さをぜひ、垣間見てください。 最後に私が好きな廣明さんの曲をご紹介したい。

▼「うた 願っていること」

▲ 上記写真はソロライブのひとこま。 コロナ前は年4回(春分、夏至、秋分、冬至)ペースだったソロライブを、今年4月久しぶりに開催。 一緒に楽しむ「あ」の音楽&圧巻の「あっぱれ棒」。 泣けるほど美しいピアノ、弾き語り。 一人でここまでできるのかと驚くほどの充実のプログラムでした。 しかも観た後なぜかスッキリ! 次回は未定とのことだが、機会があればぜひ廣明さんのライブに行ってほしい。(撮影/宮崎登)

廣明輝一(ひろきこういち)

作曲家、ピアニスト。「バイオハザード」などのゲーム音楽、水樹奈々、 KinKi KidsなどのJ-POP、CM、ミュージカルなど、幅広いシーンで作曲、編曲、リミックスなどを手掛ける。2019年、Mujika Easelとの共作CD「祈りと遊び」をリリース。

近年は、11拍子2拍またぎの芸能健康法「あ」を開発。 現在、その世界的な普及に努める。

廣明輝一 YouTubeチャンネル
https://youtube.com/user/hiropyom8