隠れた二胡の名曲を紹介「二胡協奏曲 離騒 孤高の詩人・屈原の物語」
2023/7/14の「二胡を手にして30周年」と銘打ったコンサートのプログラムを並べてみると、物語にちなんだ曲が多いことに気づく。30年を経て、もともと中国音楽を志した当初の、漢文、歴史好きな本性に立ち戻ったような気がしなくもない。
「楚辞」という古代中国の詩集に収められた屈原の詩「離騒」に題を取り、屈原の生き様を表した二胡協奏曲を演奏する予定なので、屈原とこの曲についての思いをここに記しておきたい。
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屈原、名を平といい、楚の王家に連なる名家の出である。優れた詩人にして政治にも長け、稀代の名臣として懐王に仕えた。懐王暗愚にして讒言に耳を傾けて屈原を遠ざけ、懐王が秦で客死したのちは子の頃襄王により放逐されて江南の沼沢を逍遥した。逍遥しつつ詩を吟じ、終に汨羅江の流れに身を投じたという。
沢畔を彷徨う屈原に、漁夫が声をかける。楚辞「漁父の辞」の一場面である。
「お見かけしたところ屈原どのではありませんか。何故こんなところに。」
「世を挙げて皆濁れるに、私独りが清廉であった。衆人皆酔っている中、私独りが醒めていたたのだ。」
「聖人は世の流れに逆らわぬものです。なぜ一人孤高を気取るのか。」
なかなか手厳しい。ーーー放逐されたのは人と相容れない頑な潔癖さゆえでしょう?
屈原が答える。
「沐浴したら汚れなき服に着替えるだろう。なぜ潔白な我が身をわざわざ汚濁の中に置かねばならんのだ。そんなことをするくらいならいっそ川に飛び込んで魚の腹の中に収まった方がはるかにましだわ。」
いやあ、ここまで来るといっそ清々しい。もはやロックですね!ただの堅苦しくて付き合いにくそうなおじさんじゃなかった。後世の我々の心を掴んで離さぬはずです。
漁夫は莞爾と笑って何やら歌いながら櫂を漕ぎ、岸を去っていきます。お互い意見は平行線のままのようです。
程なくして屈原は、自らの言葉通り石を抱いて汨羅江に身を投げます。
水に沈んだ屈原を救おうと村人たちが競うように船を出したのが竜船レースの起源であるとか、魚が屈原を食ってしまわぬように粽子を投げ入れたのが端午の節句のチマキの由来であるとか、それはまた別のお話。
世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。
屈原の濁りに染まぬ孤高の魂は、世事に塗れてなかなか屈原のように真っ直ぐには生きられぬ、二千年後の我々の心を打たずには置きません。