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CULTURE

北京遊学記 (1)

CULTURE, MUSIC

今を去ること20余年、いや正直に言うとちょうど四半世紀(!)前の3月に、私は留学生として北京に降り立ったのだった。

当時はまだ今ほど近代化が進んでおらず、古き良き北京の香り漂う懐かしい雰囲気が濃厚で、そういったレトロな情緒が大好物の私は、街中に点在する旧跡名跡をよく一人でほっつき歩いたりしていた。

最初の半年は、中国戯劇学院の語学留学生として、しかし校舎の都合から戯劇学院からは離れた北京師範大学の附属中学校の寮に住み、そこで中国語の授業も受けた。(なのでそこはかとなく期待した、戯劇学院に通う将来の中国芸能界のスター達に接触する機会は皆無であった。)同じ授業を受ける留学生は日本人と韓国人だけで、日常的に普通に友人と日本語で話せるので、強い意志で積極的に中国語を使おうとしないと、目的である語学の劇的な上達は見込めないという緩めな環境であった。

当時外国語大学の中国学科だった私の目的は、表向きはもちろん語学の習得であったが、すでに少しかじっていた二胡と琵琶を本場で学びたいと、留学前から心に決めていた。北京に到着後1週間ほどたった頃、地図で音楽学院を探し出し、留学生事務所を訪ねて、二胡と琵琶の先生を探した。北京にある音楽学院のうち、たまたま中央音楽学院の方が駅から近く見つけやすかったので、そのまま中央音楽学院に縁ができた。夏前には中央音楽学院の進修生として入学を希望して許可され、9月の新学期を前に音楽学院の留学生宿舎に引越しした。ちなみに進修生というのは聴講生のような身分で、請願書のようなものを一通提出したら許可されたので、難しい試験をパスしたりしたわけでは微塵もない。

しかしここでうっかりというか何というか、中国の大学の制度をよく理解していなかったため、やらかした。日本の感覚で、入学の手続きの案内などは文書で手元に届くのだろうと思い込んでいたので、それを待ちながらのんびり内モンゴル旅行になど出かけていたのだが、中国の大学では、学生への連絡は全て掲示板に張り出されるだけで、呑気な私はそれに気づかず、結果一切の手続きをすっとばしたまま、新学期が始まったのである。入学手続きもしていないため、本来は留学生ではなくなるはずだが、そこは当時の中国の寛容さで、留学生宿舎に住みながら二胡と琵琶の先生に個人的にレッスンを受ける、というよく分からない身分のまま残りの半年を過ごすこととなった。正式な留学生ではないが、3ヶ月ごとのビザの延長の時は中央音楽学院の印鑑をちゃんと押してもらって警察署に出向いて手続きをした。何ともおおらかな対応で、今だったらこんなことはあり得ないだろうと思う。

二胡は中央音楽学院附属中学(日本での中高の6年間に当る)の教師を引退された聶靖宇先生に就くことができた。今をときめく著名な演奏家を育てた名教師である。琵琶はまだ大学院生だが将来を嘱望されている范薇という同い年の先生を紹介してもらった。週1回ずつの個人レッスン以外は何の授業もない状態だったので、練習する時間だけはひたすらあった。1日8〜9時間を目標にしていた気がするが、外に出て友人と遊んだ思い出も、一人で街をぶらついた思い出もたくさんあるので、記憶がいい感じに歪曲されているだけで、本当はそこまではやっていなかったのかもしれない。

 

中央音楽学院での生活が始まった秋という季節は、古くから「北京秋天」と呼び慣わされた美しい時候で、まだ大気汚染が今ほどひどくなかった頃のこと、いつも爽やかに晴れて天はどこまでも高く、大陸の広い空を吹き渡ってきた風が運河沿いの柳を揺らすという風情で、日本に帰って随分経つ今でも、晴れた秋の日に穏やかな秋風が窓から入ってきたりすると、一気にこの四半世紀前の北京での日々に引き戻されたような心持ちになる。(続く)