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CULTURE

天使の都 / バンコク在住ギタリストの日常 ①

CULTURE, MUSIC, LIFE STYLE

天使の都という名前を持つタイの首都バンコクに2011年に移住して間もなく10年目に突入する。とにかく音楽以外に興味が無く世間知らずのロクデナシだった俺は初めてパスポートを作り初めて日本を出て、そのままバンコクに住んでしまった。移住する数年前から俺のDNAは最後の足掻きを始めていて《仕事しろロクデナシ~!子供を作れ~!まともに働け~!!》と叫んでいた。正にそのタイミングで身内に『タイで仕事すれば儲かるで。まともな人生を手に入れる最後のチャンスや』と言われたもので、単純な俺は火が付いた。『やったるで~!!最後の大勝負や!!』とアホ丸出しで移住を決めたわけだが、その頃付き合っていた彼女に『タイで成功して結婚や!!一緒に行こう!!』と鼻息荒く言ったところ、彼女の顔にはハッキリ『…いきなりなにをわけのわからんことを言うとんねん』と書いてあった。仕方が無いので俺はひとりで行くことにしたわけだが、彼女の判断はまったくもって正しかった。女性は常に冷静に現実を見ているし正しい。その後の顛末を思い出すと、あの時彼女が一緒に来なくて良かった…と心の底から思っている。

そんなわけで右も左もわからない状態でバンコクに住み始めてタイ語の学校に通い出したが、1ケ月後にはタイ北部で発生していた大洪水が下流域にも広がり600万ヘクタール以上が浸水、首都バンコクも浸水した。その余波で予定していた仕事場は働き始める前に消滅した。『海外での仕事を舐めるなよ。日本には部屋も残さず気合を入れてこい』と言われたもので出立前にきれいに1年かけて身辺整理をしていた俺は日本に帰る部屋もなく地元の友人達に盛大に送り出された手前そうそう泣き言も言えない。そんなわけで、いきなり先の見えない異国でのサバイバル生活が始まった。

最初の2年間はよくわからないままいろいろな仕事のお手伝いをして過ごした。暑さでふらふらになりながら各地のマーケットの商品を調べ歩いたり、接待のお付き合いでいかがわしいお店で飲んだくれてオカマバーに置き去りにされてお勘定が足りず『皿洗いせなあかんのか…?それとも…身体で??』と途方にくれたり、マフィアだと名乗る泣き上戸のチンピラにインポになって嫁に逃げられた話を泣きながら愚痴られたり、カンボジアのプノンペンのカラオケバーで台湾式企業接待と真っ向勝負して酔いどれた末に街灯ひとつ無い赤土の荒野を意気投合したマリ〇ァナの売人にバイクで連れ回されたり、ライブバーでバンドに乱入してギターを弾いているうちに記憶を失くして次の朝に目が覚めたら知らないアパートでタイ人家族に覗き込まれていたり…これは酔っ払って最終的に何もわからなくなった俺を店で働いていた優しい女性スタッフがアパートに保護してくれたらしい…まあとにかく泥酔いに次ぐ泥酔いのカオスな日々。ちなみにこの時点では就労ビザが無かったのでただの不法就労者だったしビザの更新等々で滞在費は嵩むばかりで出ていく方が多かったもので、このまま異国で浮浪者になってその辺で野垂れ死にだな…と半ば本気で思っていた。

そんな感じで2年も経つといくら呑気な俺でも流石に『俺はなにをしてるんだ?』と思い始める。なんせまるで先が見えない。ここに来るまではやりたい放題勝手気儘なミュージシャン稼業で周りはイカレた素敵な友人ばかりでストレスもほぼ無かったもんで、それに比べると孤独だし生きてるんだか死んでるんだかわからなくなってきて要は軽く病み始めた。自分の意志ではない流れで何も進展が無いってのは精神的にかなりきついもんだ。ちなみにバンコクには俺が生まれた1969年に作られた古い日本製のガットギターだけを持ってきていた。先が見えなくて毎夜毎夜飲んだくれていたがギターだけは毎日弾き続けていた。タイ各地の夜の街ではストレス解消の為にほぼ毎回バンドに乱入していたし、ビザ更新の為に定期的に行くラオスの首都ビエンチャンにもギターを持って行ってメコン川沿いにあるナイトマーケットや古いお寺や公園で弾いた。日本を出てから俺が素の自分として人と話すきっかけはほぼ100パーセント音楽だった。何はなくとも演奏していればいろいろな人が話しかけてくれる。『どこから来たんだ?』『普段はどこで演奏してるんだ?』それはタイ語だったり英語だったりラオ語だったり中国語だったりいろいろで、言語スキルの問題もあって拙いながらも、純粋で確かなコミュニケーションがそこには在った。要するにガキの頃から常に音楽が救いだったし社交的ではない俺が世界とつながる唯一の手段は音楽でそれは今も連綿と続いているのだ。名作ブルースブラザースの中にジェイムス・ブラウン演じる神父が説教を行っている教会でジェイク・ブルースが神の啓示を受ける場面があるが、いろいろなところでギターを弾いているうちに正にあの天から光が差すような感覚が日々積み重なっていって、ある日突然吹っ切れた。

『ギターだ!!ギターを弾くんだ!!』

素晴らしきかな中二病。死にかけの中年がいきなりパワー全開だ。それを機に俺は一度日本に帰り、20年来の愛機Gibson ES-335を持ってバンコクに戻り、自分でまっとうな仕事をさがして正式に就労ビザを貰って地に足を着けて本格的に演奏活動を再開した。それ以来、試行錯誤しながらもタイ各地で400本ほどライブを演って素晴らしいミュージシャンやたくさんの友人達と出会い、ステージを重ねていくつかの大きなフェスにも出演した。そろそろ自分の作品を作ろうと思い立ってプランを立てて改めて1年間ギターのトレーニングを繰り返して事前のツアーを組み、いよいよスタジオに入る2週間前にコロナ騒ぎでプランはいきなり白紙になった。嗚呼、人生はままならぬ。

コロナ後のバンコクはまだ閑散としている。観光客もいないしライブシーンは復活には程遠い。このタイミングで日本の地元の長年の音楽仲間から『タイのミュージックシーンの記事を書きませんか?』という話が届いた。しつこい俺はもう一回振出しに戻った気分で勝負する気でいる。かなり局地的な情報になると思うので、申し訳ないが素敵なレストランやエステや観光地等々の情報に関しては優雅なタイ駐在の奥様達のブログを読んで欲しい。俺はあくまで個人的にこれからと過去の活動を織り交ぜつつバンコクやタイのアンダーグラウンドシーンや今までに出会ったアーティストやイカれた連中の事を書いてみたい。お付き合いいただければ嬉しい限りだ。