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「JAZZで踊る」の進化

CULTURE, MUSIC

表題の「JAZZで踊る」をメッセージとしたカルチャーが始まったのは1980年代のUKからと認識しています。
当時、そのインパクトは大きく、そして2022年の今、このUKから発信される新たなJAZZが本当に面白い。 あらゆる要素が複雑かつナチュラルに絡まり、聴く者の好奇心を揺さぶります。

▼ Maisha – Eaglehurst (Brownswood Basement Session)

▼ Yussef Kamaal – Calligraphy // Brownswood Basement Session

何故こんなに進化を遂げたのか? その要因は何か? 今回はこの辺りをテーマに記させて頂きます。

① UKはノーザン・ソウルが土壌である

1960年代、アメリカでは見向きもされなかったシカゴの チェス・レコード(Chess Records)などの7インチのソウルミュージックのレコードを発掘し、何かを求めてパーティに集う若い人達に披露しフロアーを賑わす。 こんな「誰も見向きもしなかったレコードでいかに躍らせるか?」この様な価値観がこの “ノーザンソウル・カルチャー” を構築しています。 このノーザンソウル・カルチャーは勿論UKで生まれて、その後のUK発の音楽も間違いなくこの精神性を受け継いでいます。

▼ 映画「ノーザン・ソウル」

② ノーマン・ジェイから発せられたレアグルーヴの一環がJAZZである

UKでは黒人音楽がベースのダンサブルな生音で、かつ、リリース当時は正当な評価を受けていなかった楽曲に価値を与える、このレアグルーヴの一環にJAZZがあった。 即ちこの様な方々のJAZZの感覚はひたすら、所謂JAZZを聴いてきた方々とは違う感覚を持ち合わせていた点が挙げられるでしょう。 ストレイト・アヘッドなJAZZでみると1980年に入ってからの マルサリス兄弟 の活躍は目覚ましい。 ところが「JAZZで踊る」の現場では、DJのセットリスト、レコードには彼等は居ないが、ケニー・ドーハム や エディ・パルミエリ などのアフロキューバンなモノや、CTI や KUDU(CTIのサブレーベル)のレーベルのモノが揃えられ、聴衆を熱く踊らせた事でしょう。

ノーマン・ジェイ:DJとして初めてエリザベス女王から直々に叙勲を受ける快挙を成し遂げたイギリスDJ界のレジェンド

▼ Brothers in jazz at dingwalls

③ Brit Funkというムーヴメントの存在

「JAZZで踊る」の現場の前に1978年からの「Brit Funkというムーヴメント」が大きな存在であり後々に続く動きに多大な影響をもたらしています。 UKではDJとミュージシャンが同じ現場に存在し、ミュージシャンはDJが観衆を踊らせ、ダンサーを熱くさせている姿から大きな影響を貰い、自身の音楽性やスタイルに反映させていきます。 クラブにDJとミュージシャンが共存して音楽を作りあげ生まれた British Jazz Funk が Brit Funk であり、この「Brit Funkというムーヴメント」は音楽のみならずファッションやダンスも網羅したものであり「JAZZで踊る」カルチャーも勿論この流れと先程のレアグルーヴと相まって誕生します。

▼ Brit Funkの最初のヒット曲(HI TENSION – BRITISH HUSTLE)

Incognito のリーダー、ブルーイと世界的なDJ ジャイルス・ピーターソン によるコロナ禍で突如発信した新たなるBrit Funk

④「JAZZで踊る」から生まれたAcid Jazz

1988年から登場したこの Acid Jazz はあまりにもダンスミュージックに行き過ぎたユーロビートへのアンチテーゼだったかもしれない。 聴いてよし、踊ってよしのBrit Funkと当時のアイコン的な「JAZZで踊る」がキーワードとなりそのシーンの重要人物であるジャイルス・ピーターソンがレーベル「Acid Jazz Records」を経て自身のレーベル「Talkin’ Loud」を設立する。 Brand New Heavies 、Incognito、Galliano、Jamiroquai 、United Future Organization、4 Hero、The Roots、などが作品を発表。 Acid Jazzは当時のクラブ・ミュージックを支え、Brit Funkによる多様な人種や階級の人々が同じ環境にいる事を、さらに前に進めて、サウンドや様々な要素が多様に具現化されていきます。

▼ Best Of Acid Jazz

▼ Galliano – Live @Town & Country Club

⑤ M-BASEのJAZZからの影響

前述のマルサリス・ファミリーと相反する、スティーブ・コールマンを筆頭の集団 M-BASE(通称ブルックリン一派)が1980年代後半に登場し、その影響を受けたUKのジャズミュージシャンが Jazz Warriors のメンバーであった事。 M-BASEの音は変拍子のリズムを多用し、非西洋の概念で、主にアフリカとアフリカン・ディアスポラの創造的な音楽にシンパシーを受けている。(このアフリカン・ディアスポラとはヒップホップを指しています)このM-BASEの影響を受けていたJazz Warriorsのメンバーでもあるスティーブ・ウィリアムソンは、ジャズダンサーのIDJとの共演や、MTVでIDJのリーダーと共演するなど、自身も踊るジャズを体現してきた人物です。

▼ IDJ Dancers, Courtney Pine, Steve Williamson & Band at The Nelson Mandela Concert 1988

▼ Steve Williamson & Band + Uk Jazz Dancers Children in Need 1990

このJazz Warriorsのメンバーのゲイリー・クロスビーが1991年に立ち上げた、Tomorrow’s Warriors(トゥモロウズ・ウォリアーズ)と呼ばれるアーティスト開発プログラムが現在のUKジャズシーンに多大な貢献を行なってきています。

⑥ Bruk〜多様な融合

広い意味での Future Jazz の一種である Bruk と呼ばれるブロークンビーツが西ロンドンより1990年代に入って生まれます。 この西ロンドンはアフロやジャマイカン(Brukはジャマイカン・パトワで英語のBrokenを意味します)等、様々なコミュニティが存在します。 そして、そんな環境が、このシンコペーションされたビートを4分4拍子の音におり混ぜ、フュージョンされたジャンルが時を経て生み出されたのは頷けます。

IGカルチャー(IG Culture)と フィル・アッシャー(Phil Asher:2021年に50歳という若さでお亡くなりになられています)がオリジネーターの双頭で、後に 4hero のディーゴや マーク・ド・クライブ・ロウ 等、UKに留まらず世界的にも広がり多様な融合を経ていきます。

▼ Hiphop、R&Bを背景に持つIGカルチャー

▼ ハウス、テクノ、ジャズファンクが背景のフィル・アッシャー

要因となりうる項目をざっくりとあげていきました。(各項目は掘り下げると、とんでもない情報量になるのでご了承ください)① から ⑥ の歴史的な経緯とクールな多様性が育まれ、⑤で記したTomorrow’s Warriorsで育ったミュージシャンがJazz re:freshedのパーティでプレイし、Brownswood recordingsレーベルでリリースされ評価を受けています。 学んだ事を実践し、共に学んだ人達が深くつながり、「踊る現場」を目の当たりにした彼等(彼女等)をDJが後押し行う。 素晴らしい連鎖が「JAZZで踊る」から「踊るJAZZ」そして「JAZZ」へ、聴き応えある、見事なまでにクロスオーバーされた音楽として進化させたのでしょうね。

▼ Kokoroko @ jazz re:freshed

▼ DoomCannon – Amalgamation Live In The Brownswood Basement

参考:

Photo by 寺川昌宏