聖なる鳥は空に還る − Laos Vientiane − / バンコク在住ギタリストの日常 ⑥
聖なる鳥は空に還る
タイの隣国、ラオスの首都ビエンチャンにある1563年に建立された古寺 ワット・シ・ムーアン(Wat Si Muang)の大きな岩の上には大きな2羽の鳥が身じろぎもせず静かに立っていた。 現地の人の話によると、この鳥たちはある日突然岩の上に舞い降りて、その後一度も飛びたたず10年以上岩の上でじっと立ち続けていると言う。 昔話にでも出てくるような不思議なお話だ。 そのお寺に案内してくれたトゥクトゥクドライバーに、誇らしげに『Buddah bird』と紹介されたその鳥を俺はなんだかえらく気に入ってしまって、ビエンチャンに行く度に毎回毎回会いに行っては飽きもせずにじっとして動かない鳥を眺めていた。
ビエンチャンはラオスの首都… しかし首都とは思えぬくらいこじんまりした田舎町で、空港はタイの地方のバスターミナルと同程度の規模だし、観光地もメコン川といくつかのお寺と植民地時代の古い建造物くらいしかない。 元フランス領ってのもあってフランスパンを使ったバゲットサンドイッチ『カオチー』が名物。 日本のバゲットと違ってしっとり感ゼロの乾いたパリパリの食感がとても美味しい。 高層ビルがほとんどない田舎町なので、昼と夜の気温差が激しく、昼は酷暑で夜は肌寒い。 雰囲気の良い小洒落たカフェやレストランが多くてとても過ごしやすく、メコン川で眺める夕日は最高に美しかったが、残念ながら22時くらいには店が閉店して街から人の姿がなくなってしまう。 ネット環境もあまりよろしくない(2013年頃はかなりひどかった)もので、夜が更けるとさっさと寝るか、本でも読みながらゆったり酒を飲むくらいしかやることはない。 元フランス領なので当然街を歩けばフランス人が多いわけだけど、カフェでゆったりくつろいでいるバカンス中のフランス人マダムはお年を召していてもとてもセクシーな女性が多かった。 その自由さはフランス人のイメージ通りってな感じもあったが、根本的に考え方が違うんだな… ということを強く感じた。
ビールを片手にゲストハウスのバルコニーから川を眺めていると、ジンジョックという通常サイズのトカゲとトゥッケーという30センチくらいある大きなトカゲが壁にたくさん張り付いていて、餌となる羽虫を追いかけて這いまわっている。『トゥッケー、トゥッケー』と大きな声で鳴くのでトゥッケーというそのまんまの名前を持つこのトカゲはサンショウウオみたいなシェイプでけっこうかわいいんだけど、家の中にも入ってくるので特に女性は苦手だという方が多い。 以前、タイ南部出身の女の子とマーケットに散策に行ったときに『トゥッケーがかわいい!? あんな気味の悪いもんなにがいいのよ』と眉をひそめて言うわれたが、それを言っている彼女は屋台で購入した 虫の佃煮 をムッシャムッシャと豪快に食べながら『果物と食べると合うのよね…』なんてことを言っていて、俺にいわせりゃどっちもどっちで虫の入った袋を片手にさわやかに笑う彼女はほぼ爬虫類だった(もちろん実際にはそんなことは言っていない)
さておき、ビエンチャンの個人的なおススメは早朝の托鉢の光景。 ラオスの坊さんはタイに比べるとオラオラ感があってかなりワイルド。 僧衣の色はメコン川で見る夕陽のような濃いオレンジ色でタイの僧衣とは微妙に色合いが違う。 朝のビエンチャンの路地を練り歩く托鉢の坊さん達の列の後を、おこぼれをねらう興奮気味な野犬の群れがついて歩き、異邦人の俺はその犬の後ろをついて歩いていく… 日本を出たばかりのお上りさんにはまさに異文化って感じで何もかもが興味深く楽しい時間だった。
最初の数年はタイに渡ったは良いが正式な仕事が無く、ビザも労働許可証もない状態だった為、所謂ビザランで年に数回ラオスに行っていたわけだが、何度目かの訪問時にいつものようにゲストハウスにチェックインしてからお寺に行ってみると鳥はいなかった。 慌ててトゥクトゥクのドライバーをつかまえて話を聞いてみると、まず一羽が突然死に、しばらくするともう一羽も後を追うように死んでしまったという。 ビエンチャンに通っていた数年の間に、メコン川のリバーフロントで中国人富裕層向けのリゾート開発工事が始まって、下の写真のような下世話な看板が空き地に立ち始めていた頃で(黄金でできた翼の看板。他にもベンツやらなんやらの高級品が翼になっている看板もあった)、 同じ時期に訪問したカンボジアのプノンペンでも中国人富裕層向けのカジノの開業が話題になっていたし、タイでの日常においても中国の影響は大きかった。 まるで《世界は全て中国のもの》とでも言わんばかりの傍若無人なふるまいと勢いにマジでうんざりしていた。 海を隔てて異国から隔離されている日本ではそこまでの脅威を感じることはなかったので、実際に見た人海戦術による文化浸食はある意味ショックでもあった。 そんなタイミングで二羽の鳥が死んでしまったもので、古き良き時代が終わったような気がして、ものすごく寂しくなったのを憶えている。
二羽の鳥は現実と虚構の狭間にあるような曖昧模糊な存在で、そんなファンタジーな存在がまだこの世界に存在していることがなんだか嬉しくて俺はお寺に通っていた。 たぶん彼らは拝金主義に染まっていくこの世界に愛想が尽きて空に還ったんだろう。 その旅の後で正式にビザを取得したもので、ビエンチャンに行く機会はほとんどなくなった。 この件で《人類ってのは本当に進化してるのか?》と思ったりもしたが、異国でサバイバル中の無名ギタリストにはどうでもよい話だ。 このまま進んでいけば 最終的には多数決で中国の勝ちとなるんだろうけど、その頃には俺はもうこの世にいないだろうし、世界の在り様も人々の考え方も何もかも変わっているだろうし知ったこっちゃない。 そういえば、タイに来てから出会った日本人ギタリストのひとり、谷本光 君は中国を主戦場にアジアで活躍している。 スキルフルで天才的なギタリストで、中国語、英語を話し、マネージメントも自分でやっていて、ビジネス面もしっかりしていて人間としてとても強い。尊敬です。
浮遊する日々
5月現在、バンコクは何度目かの行動規制の真っ最中で、またもやライブスケジュールは白紙に… なんてこった! と嘆きつつ、暇つぶしにアソークからナナへスクンビットを歩いてみると、路上生活者、街娼、男娼、バイアグラやらセックストイの屋台、ウォーキングをする人々、途方に暮れているじいさん、バスを待つオフィスワーカー、男娼、街娼、串焼きの屋台、ぼったくりのカバン屋… といった有様で、お客さんが1人もいないスクンビット通りは異様な雰囲気。 歩き続けると、路上生活者が急に立ち上がって俺の前に立つ。 無表情。 タバコを差し出すと1本抜き取った。 ライターを渡すと、ゆっくり火をつけて無言で俺の手の上にライターを返してまた座り込んだ。 一連のやり取りの間、俺もおっさんも一言も喋っていない。 セブンイレブンの前で物乞いのおばあさんが手を合わせて頭を振り続けている。 ソイを見ればシャッターはほぼ閉まっている。 真っ暗なビルの窓にガラガラの高架鉄道が映っていた。 こんな状態がもう1年を超えて、今が一番厳しい雰囲気になっている。 日本との一番の違いは政府の権力が強いということだろう。 マスクしてないだけで2万バーツ(約6万円)の罰金、ひどいときは逮捕されるし、様々な規制も告知などなくある日突然行われる。 確かに対応は早いけど振り回されるほうは大変だ。 保障などもちろんないので路上生活者は日々増え続けている。
俺は5月に入ってからアソークの安ホテルにロングステイしている。 アパートは出たが、次の物件を探せるような状況ではなくなってしまったもので、ホテルと交渉して1か月単位で部屋を借りている状態だ。 バンコクが今回の半ロックダウン状態を脱して物件が見つけられるようになるまでは、このホテルかリバーサイドエリアに移動して、同じように1か月単位で宿と契約して過ごす予定だ。 とりあえずシャワー等の設備も良いし、掃除もしてくれるし、フロントのスタッフも親切で居心地は悪くない。 夜は1枚目の写真のように人影のないアソークも、夕刻は沢山の人がウォーキングをして賑わっている。 基本的に歩くのが大嫌いで短い距離でもバイタクを使うタイ人… というイメージを覆す健康的な光景でなかなか斬新だ。 ウォーキングをして買い物をして家に籠るってのが現在のバンコク市民の日常で、行き交うみんなをバイタクのドライバーたちが暇そうに眺めている。 外国人の多いエリアなのでいろいろな国の人が歩いていてトレーニングウェアの着こなしひとつとっても様々で、すれ違う人を見ているだけでけっこう楽しい。 俺は暑さのマシになった夜間に歩いていたが、上記のような具合でひっきりなしに声をかけられるのが鬱陶しくて夕方に歩くことにしたのだ。 そういや、こちらの人にコロナと言っても通じない。 Covid19が一般的な呼び名だ。 多分コロナって呼んでいるのは日本くらいだろう。
例えば俺は早朝から仕事に出て、昼食は店内飲食禁止なので部屋に戻って前日購入した食事を取る。 16時に終わって食料を買い込みストレス解消の為に軽い運動に出る。 健康的な事などやってたまるかと思っていたが、これだけ長期の停滞となると身体が運動を求めている。 ウォーキングをやっている人はみんなそんな感じだろう。 1時間ほど歩いて帰ってくると夕食。 この後はほぼ出歩かない。 現状は夜間外出禁止ではないが、外に出たところで歩く以外に何もできないわけで、ほんまに良くできた規制だと思う。 滞在しているホテルは平日は人の気配がないが、週末になると少し賑やかになる。 タイの若い子たちが仲の良い友人と週末だけ部屋を借りて話をしたりご飯を食べたりしているらしい。 もともとはさみしがりでひとりがきらいで人と人との距離が近い国民性である。 形は変われど友人と一緒に過ごしたいという彼らの行動に少しほっとした。 例えば、道で行き倒れみたいに寝ている人がいたときに、日本人は避けるけど彼らはミネラルウォーターのボトルを買って置いていく。 屋台のご飯を買いに来た子供が、ダウン症の物乞いにお釣りを施す。 この10年で俺も彼らを見習って困っている人には小さな施しをするようになった。 タイでいうところのタンブンだ。
そういや、近所の路上で息子(おっちゃん)と過ごしていたおばあちゃん。 たまに水やらタバコを差し入れていたら昨日会ったときは近所に部屋を借りられたようで良い笑顔で挨拶を交わした。俺が何をしたわけでもないが、暗い話の多い中で少し幸せな気分にはなれた。
個人的には長期にわたって演奏活動ができていないストレスがかなり溜まっていて、ギターのトレーニングに身が入らないのが悩みの種である。 今週に入って少し規制はマシになったので、復活の兆しが見えるといいんだけどね… どうなるやら。 若い友人たちはそれぞれのやり方で足掻いている。 20代という貴重な人生のピークの時期の数年間を引き籠って過ごさざるを得ない彼らには気の毒としか言いようがない。
追記)次の家が決まった。 リバーサイドエリアのタウンハウスだ。 次回はバリバリのローカルエリアのリポートになる予定。
When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again. − Eric Dolphy −