「音談るつぼ」♯9 飛高聡さんと。(後編)
関西に移り住んで一番よかったのは、たくさんの魅力的な人と出会えること。 私の場合、人とはたいてい音楽やライブを通して出会う。「飛高 聡」さんはベーシスト。 おしゃれでアカデミックな雰囲気をまとった人で、話したらおもしろそうだなぁと常々思っていた。 セッションホストという視点からお話しした前編に続き、後編では飛高さんご自身のことを話題にしたい。
飛高さんのジャズ黎明期。
飛高さんが楽器を始めたのは、学生時代、クラシックギター部に入部したことがきっかけ。 バッハなどの楽曲を、ギターで譜面どおりに弾く演奏スタイルだったそうだ。 そのうち、クラシックギター部とは別に、G、B、Drのトリオを組む。 ここではエレキベースを担当し、オリジナル曲やプリンスのカバーアレンジなどを演奏した。
ジャズに取り組むのはもう少し先で、卒業後も活動が続いていたトリオのメンバーと一緒に、お店のジャズセッションに行ってみたことから始まる。 今から20年前、「9.11」が起きた日だったと記憶している。
当時はジャズは知らなかったので見学だけのつもりだったが、「普段やっていることでいいから演奏してごらん」と言われてトリオで演奏した。 セッションについては正直、何が行われているのかよくわからなかった。 だが惹かれるものがあり、この日を境に、飛高さんはお店のジャズセッションに通うようになる。
当時、同店で行われていたセッションはフリージャズが中心。 聞けばなかなかに厳しくて、新人から順に演奏していき、終盤になるほどプロミュージシャンなどうまい人たちが登場するという慣わしだったそうだ。 また、誰かが調和を乱すようなプレイをしたと判断されると、演奏にストップがかけられることもあったという。
「そういう時代だったんですよね。 僕は一番乗りでお店に行って、楽器もばっちり用意して座ってるけど、ほとんど演奏させてもらえなかった(笑)」。それでもほかの人の演奏を最後まで聴き、セッション終了後は機材などの後片付けをして帰った。 そういうものだと思っていた。
だが厳しいばかりではない。 お店のママさんやマスターは情に厚く、面倒見がよかった。 常連ミュージシャンが「二度と来るかと思うけど、土曜になったらまた来てしまう」と笑い合って話すような、濃密な場所だったという。
飛高さんはマスターの勧めで、エレキベースからウッドベースに移行。 お店で出会うたくさんのミュージシャンと切磋琢磨しながら、ウッドベース奏者としてジャズへの理解を深めていく。
▲ 長年ウッドベースを弾いてきた飛高さんの手は、弦を弾く指の皮が固く、厚い。 左手は小指まで使って弦をおさえるため、小指のサイズが左右で異なる。
「うまくなる」と「自由に表現できるようになる」は違うんじゃないかと。
さて、ジャズと出会い、ウッドベースとも出会った。 お店に通ってジャズの現場の様子もわかってくると、飛高さんは「自分は何がしたいのか」を考えるようになる。 周りの人たちはよく「うまくなりたい」と言う。 「うまくなりたい」って、どういうことなんだろう。
「ジャズで『うまい』というと、音がきれいで、フレーズがジャズのフレーズで、聴いている人を楽しませて、抑揚があって、表現力がある、ということだと仮定したら、僕はうまくなりたいわけじゃなかった。 僕は、現場で起こっていることや自分がそのとき感じることを音楽で自由に表現して、しかも周りの人と調和がとれているという状態を作り出したい。 アドリブの本質はそういうことだろうと当時は思っていたんです」
「楽器が上達する方法」や「ジャズの理論」は巷にあふれているが、そのころの飛高さんが求めていた「音楽で自由に表現する方法」は、教則本には載っていない。 レッスンでも得難い。 試行錯誤が続いた。「たぶん演奏する中で一個一個実験して、体感していくことでしか得られないものだと、今ならわかるんですけどね(笑)」
今は「うまくなる」ことも大切で、うまくなる努力も必要だと考えている。 自分より先を歩いている人に出会うと、アドバイスを求めるそうだ。 ピンとくることができないアドバイスもあるが、「自分は気づいてないから、まだそのレベルに行けてないのだ」と考えて、アドバイスしてもらったことは守るようにしている。
楽器の練習はほぼ毎日。 やらなきゃという焦燥感や義務感からではなく、とにかく楽器をさわっているのが楽しいという。 飛高さんによると「楽器には癖だけでなく、日によって機嫌もある」そうで、同じように弾いても毎日響きが違う。 楽器を理解しようと向き合うことは、まるで人を知っていく過程と似て、おもしろく興味深いことなのだそうだ。
ジャズベースが弾く音はたった1個。だからおもしろい。
ジャズ演奏におけるベースの魅力を聞いた。
「クラシックギターを弾いていたころは、和音を積み重ねてサウンドのカラーを出すことに労力を使い、それが醍醐味でもあったんですけど、ジャズでベースが弾くのは単音。 たった1音。 基本はルートをおさえることだけど、こうしなきゃいけないという決まりはなく、テンションを弾いてもいい。 1個の音を好きなように自由に選んで表現していくのがいいんですよ」
和音を使わないこと、フロント楽器のように音数が多くないことに不自由は感じない。 むしろ、ウッドベースが性に合う。
「音楽に限らず、世の中の物事に対して、何と何が関連づいているかを考えるより、何が一番核になっているのだろう、という考え方のほうが好き。 ベースの役どころは、そんな自分に向いている」と飛高さんは分析する。
すっと腑に落ちた。飛高さんの話すことはいつも的を得て、話題の核心をずばりつかんでいるように思う。 それは飛高さんがもともとそういう人だからだし、サウンドの核になるたった1音を選び取って演奏するベーシストだから。 どちらが先で、どちらがより強く影響を与えたのかは、もはやわからないけれど、奏者の人となりとウッドベースが一体になって、今の飛高さんが在るのではないかなぁ。 いかにもベーシスト然としている。 ちょっと羨ましいような格好良さなのである。
▲ ウッドベースは移動が大変。 大雨で風も強かった某日、ブルーシート巻きで登場した飛高さん。
飛高 聡(ひだかさとし)
大阪府堺市出身。 仕事をしながら音楽活動を続けるジャズベーシスト。 学生時代にクラシックギターやエレキベースを弾き始め、卒業後はウッドベースに転向してジャズに取り組む。 ライブで演奏するほか、「いんたーぷれい8」(大阪市北区西天満6-9-9久栄ビルB1)、「Live Jazz & Bar Beehive」(大阪市城東区新喜多1-1-3 ダイワビル1F・2F)でセッションホストとしても活躍中。 2匹の猫飼い。
飛高 聡|Facebook
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