A South Bronx Tale
“リトル・ベトナム”
Bronx はかつてこの様な言葉で称され、アメリカの中でも最も危ない区域でもありました。(当時はベトナム戦争の時期でもありその戦火の様子と比較した例えリトル・ベトナムと、この地域は呼ばれていました)
しかし何故か親しみを感じるのは尼崎生まれの神戸は新開地育ちの私自身の生い立ちのせいなのか?
Bronx はアメリカのNYの中の1つのバリオ(ブロック:敢えてスパニッシュ表記)でありユダヤ系、イタリア系そしてアフロ・アメリカンやアフロ・キューバンが混在する街でもあります。
A bronx tale
「A bronx tale(邦題:ブロンクス物語)」
この言葉を聞くと映画好きな方は ロバート・デ・ニーロ が監督した作品(基は チャズ・パルミンテリ の舞台)と思われるでしょう。
イタリア系移民が多いニューヨーク、ロバート・デニーローもニューヨーク生まれでかつてこのBronxにも住んでいたようで、この映画は彼の自伝的な色合いが強い作品で60年代の一人の少年と取り巻く環境を描いています。
そして、そのBronxの中の「南側の物語」
ドキュメント映像として記録されたモノもある。
From Mambo to Hip-Hop : A South Bronx Tale
“From Mambo to Hip-Hop: A South Bronx Tale” a documentary being shown tonight in New York at 9 on WNET as part of the “Voces” series on Latin Americans.
此れはドキュメント映画で2000年初頭にアメリカで上映され、それが後にDVDとして販売されています。(Salsaに進化したMamboとサウスブロンクスで最も絶望的な日々から生まれたHIPHOPの2つのカルチャーを育んだサウスブロンクスの歴史を辿っています)
Mambo と HIPHOP は、ニューヨークの熱いメルティングスポットの象徴です。 ルーツはアフリカであり、カリブ海と都市を通して育まれ、 当初どちらのスタイルもサウスブロンクスのゲットーステータスと経済悪化を反映し、言わばカウンターカルチャーでもあります。この2つのカルチャーの思い出の地の交錯であったり出来事をストリート目線で展開されます。
『From Mambo to Hip-Hop : A South Bronx Tale』
https://www.folkstreams.net/film-detail.php?id=444
そしてこの映像の監督「Henry Chalfant」(ヘンリー・シャフラン)はフォトグラファーでもありニューヨークのストリートのグラフィティシーンの様子の記録が有名な方で、世界の様々なストリートアーティストに影響を与えています。
Henry Chalfant(ヘンリー・シャフラン)
Henry Chalfant
https://www.henrychalfant.com
加えて2人のプロデューサーが重要な仕事を残しています。
Steve Zeitlin(スティーブ・ザイトリン)
ワシントンDCのスミソニアン協会で民俗学者として8年間勤め、アメリカの民俗文化に関する数々の受賞歴のある本の共著者です。彼はまた、 “How I Got Over” を含む数々の受賞歴のある映画ドキュメンタリーを共同制作してきました。そして全米ネットのラジオ番組のコメンテーターでその内容がニューヨクタイムズ等に掲載され、NPR’s Weekend Edition Sunday and Morning Edition の制作に関わっていたりするのも頷けます。
Steve Zeitlin
https://citylore.org/about-city-lore/who-makes-it-happen/steve-zeitlin-bio/
Elena Martinez(エレナ・マルティネス)
彼女はオレゴン大学で2つの修士号(民俗学と人類学)を取得しています。マルティネスは、シティロアのサウスブロンクスラテンミュージックプロジェクトの主要なフィールドワーカーであり、ミュージシャンへのインタビューを実施し、写真やアーカイブのコレクションを研究しています。また、ヒップホップカルチャーを研究していて サウスブロンクスとそのコミュニティのDJ、ブレイクダンサー、グラフィティアーティストへのインタビューを行っています。
Elena Martinez
https://www.thisisbronxmusic.org/about-us/our-people/
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1時間の映像ですがあっと言う間に見終わるので何回も見続け、その都度発見があります。
そして2つのこのカルチャーはニューヨークの一角でプエルトリカン(ニューヨリカン)の熱い情熱が絶対的なキーワードであると思ってしまうのは私だけではないと思いますね。