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祈りと音楽『ご奉納演奏』①

CULTURE, MUSIC

皆さん、こんにちは。
今回は、祈りと音楽について書いてみたいと思います。

私は、中学2年生の時に衝撃の出会いをした『THE BEATLES』から、ロック、洋楽にのめり込んでいった、ということは、前回までにお話ししました。
そして、高校生の不登校の頃、色々と思い悩む中で仏教について興味を持つ様になり、ミュージシャン、アーティストの中でも、神仏や祈りに造詣の深い方がいることを知り、例えば、細野晴臣さん、横尾忠則さんなどの著者も読むようになっていきます。
そうして、THE BLUE HEARTS がデビュー、プロのミュージシャンとなり、コンサートで全国を訪れ、また各地の神社仏閣をお参りするという生活を送るようになります。

そんな中で、ある疑問がわいてきました。

音楽とは何なのか!?

▲ 熊野那智大社 那智の瀧 ご奉納演奏 神紗(担ぎ太鼓 友岡宣仁、ドラム 梶原徹也)

日本のお祭りには、太鼓、笛、お囃子が必ず付きもので、また、神社での正式参拝やご祈祷でも、雅楽、巫女舞いがあります。
なぜ、神仏を讃えたり、参拝、お願いをするときに、音楽、舞いが同時になされるのか、もう少し分かりやすく言うならば、神仏に対する祈りというものにおいて、音楽の果たす役割はどのようなものなのだろうか、、、
ということが不思議で不思議で、その理由に対する興味、謎を究明、解き明かすことに懸命だった時期がありました。

それは、私が各地の神社仏閣にて、ご奉納演奏をやらせていただき始めたのと同じ時期でもあり、自身のやっていることが頭でロジカルに理解できれば、ご奉納演奏の意義を全ての人に分かりやすく言葉で説明もできますし、ロックドラマーである私が、なぜ西洋楽器であるドラムをわざわざ神社や寺院へ持ち込んでまで、何がやりたいのか!? という自分自身への答え探しでもありました。
神仏への祈りと音楽の関係、、、

究極的には、音楽とは何なのか!?!!
自分の中では、ロックに感動し、ロックに命を救われたという、確かな実体験があり、ロックや音楽が魂の根源を揺さぶる、
そのことに対するゆるぎない確信があったのですが、では一体、私は、何に感動し、何が魂を揺さぶったのか、、

例えば、THE BEATLES
それは、ジョン・レノンの声なのか、メロディの良さなのか、歌詞の素晴らしさなのか、演奏技術なのか、リンゴ・スターのドラムがカッコ良かったのか、それらすべてを合わせたものなのか、、、

答えは、イエスであり、だけど、それだけではない、
そんなものでは納得できない、足りない、という直感!!!

私の命を救ってくれたものは、ロックは、そんな限定的なもので説明できるものではない!!! という叫び。
まったく持って、永遠に答えの見つからない壮大な問いかけでもありました。(かなり大げさではありますが)

そこで、ロック、エンターテイメントを=芸能 と考え、日本の芸能についての探求が始まります。

芸能とは?

先ずは、各地に伝わるお祭りの音頭やお囃子、太鼓などが、いつ頃から始まったものかを調べてみました。

一般的には、古事記や日本書紀に記されている、天照大神様の天岩戸開き、天岩戸の前で行われた天のうずめ命様の舞いが、神道における巫女舞い、神楽の始まりと認識されています。
この記紀神話の語っているものが、何か具体的な出来事を反映したものか、他に意味するところがあるのかは分かりませんが、総じて、神社のお祭りでは、賑やかな笛、太鼓に、歌や踊りが歓迎され、さらにお酒を飲んで、みんなで楽しく過ごすことが好まれます。

また、神様よりご神託をいただくご神事の際には、ご神事を執り行う神官、神様をその身に降ろし神がかってご神託を授かる巫女、さらにその神がかり自体を判断する審神者、という神様にお仕えする方々が、それぞれの役割をその身をかけてまっとうします。

ご神託を授かるようなご神事に参列したことはありませんが、今まで神社での正式参拝、ご祈祷、お祭りで感じたことを、私なりにエンターテイメント、コンサートに置き換えると、次のような解釈になりました。

芸能とは、神仏と表裏一体であり、歌や踊り、笛、太鼓を通して、神仏の波動、祈りとしてのバイブレーションをわかりやすく共有し、多くの方に伝えることであります。
その時に、芸能者は神様の依代になるのであり、そのため、日々自身の芸を磨き、切磋琢磨し、さらに、身を清め、高めていくことによって、巫女の役割、神様をその身に降ろすことのできる者となっていく、、と。

では、私たちの感動したロックには、幅広い表現があり、ポジティブからネガティブまで、大きな振り幅があります。
そしてときに、祈り、お祭りとは神仏よりの一方的なものではなく、人間とのやり取りの中で共にこの世界を良くしていきたい、という神仏の想いも大いに感じられるのです。
そのことについて、考えてみたいと思います。