“Abre cuto güiri mambo!!” 「僕の言うことをよく聴きなさい!!」
“Mambo” は私にとって不思議な存在だ。私が今のスタイルのダンスを始めてもう37年になるのですが、いつもどこかMamboが隠れて「お前はこっちに来るのだ!」と囁かれているようで・・・30歳になった時に更に意識し始め、自分が影響を受けたオリジネーターもその頃にSalsa(その頃は70年代からのMamboと捉えています)を教えていると風の便りで耳にしたのでその解明欲求は深まるばかり。
(▲ 日本でのセッション、何人と対峙しているのか!)
音楽的な側面ではソンと呼ばれるキューバの国民音楽が大人数化され、それに伴い変化が生まれ、ある人はこのソンを変革させたアルセニオ・ロドリゲスが Mambo の創始者でありキューバの至宝であると。
はたまた、ある人は作曲家オレステス・ロペスによる 1930年代のダンソンのタイトルが最初の言葉の登場であり、その弟であるイスラエル・ロペス・カチャオとハバナの社交場を渡り歩く中で生み出したアフロ・キューバンフュージョンが Mambo であると。
色々な人がその由来を語るが何処か謎めいている・・・
アフリカ由来の宗教的行為を司る巫女(女神)をMamboと呼んだり、自然発生的な掛け声で発する言葉であったり、打楽器合奏とコール&レスポンスの演唱からなるRumbaに様々な要素が合わさったとも言われたり・・・
いずれにしろ全ての説には裏付けと腹落ちする所があるのだから、それら全てを含むと考えても良いのではないでしょうか?(何とも懐が深い!!)
音楽に伴いダンスの成り立ちも面白い。
キューバはカリブ諸島の中でも産物が豊富な国でもありました。その為貿易も盛んに行われていました。特にアメリカが禁酒法の時代には、キューバは合法的に酒を嗜めるのでアメリカから様々な人が渡り、そして酒場は賑わいそれに纏わる社交場、クラブが大いに栄えキューバ革命まではアメリカとも大いに交流がありました。両国の其々の音楽そしてダンスは刺激仕合い発達していきました。
▲ キャサリン・ダナム(Katherine Dunham 1909-2006)
▲ ディジー・ガレスピ & チャノ・ポソ(Dizzy Gillespie & Chano Pozo – Manteca 1947)
そしてMamboは大衆文化として成長し、ストリートダンスのパイオニア達が幼い時に触れたダンスがMamboだったという事も少なくないのです。
特に、Mambo(ダンス)に於いては40年代に始まり70年代に整備され現代はSalsaとして更に世界中に広まり賑わいをみせています。
私も現代のMamboに纏わるスキルと昔のMamboの雰囲気をストリートダンスに落とし込み自分のモノにするように日々研鑽しております。
自分のチームメートのチャンネルでもこんな風に発信しております。
このチャンネルの動画から日本のソウルダンスにも影響を与えている点も垣間見えます!(これ年代ごとに整理されて見やすいですよ)
この今の時世に先行きの見通しがたったならばリアルな現場で活発に動きたいと願っています。
皆様の街へ伺いパフォーマンスさせて頂き、その時は “Abre cuto güiri mambo” と叫ばせて下さいな。